コミュニティの文化は誰が作るか

せっかくだから、いまさらmixiについて考えてみる。mixiを面白くしているものって、端的にいえばあの「コメント」に他ならないよね。
最初に自分の周りでmixiが流行ってたとき、それって何なのと聞くと、オレの数少ない女友達は丁寧に教えてくれた。「一人一人が自分のページを持ってて、そこで日記を書いてて・・・」
ん??それってブログとどう違うの??というのがそれを聞いたときの率直な感想。なんで日記を見せ合うだけのことにみんなあれだけ熱中してるの??
実際に始めてみてわかった。あれは、ブログでなくて、BBSのお題をそれぞれ出し合ってる感じに近いんだな。そして誰しも手軽にBBSのトピ主になれるって感じ。だからブログではなかなか味わうことができないようなコメントの嵐を体験することができたりする。
でも、サービス自体はブログとそんなに形態が変わらないんだよ実際。確かに足あとだとか、コメント履歴を管理しやすい仕様だとか、そういう風に考えられてはいるんだけど、やれることはブログと一緒で、みんなが日記を書いて、それを見せ合うだけ。
にもかかわらず、「mixiはウェブ全体に公開されてるわけじゃなくて安心だから」とか、「いちいちコメントのときに名前入力しなくていいし」とか、それっぽい口実を作って、あそこまでコメント主体の文化を作り上げた。
「作り上げた」と書いたけど、あれはやっぱりmixiの中の人が苦労してそのように作り上げたのかな。だとしたらすごいな。
そこで、タイトルに戻るわけだが、コミュニティの文化は誰が作ってんだってことだ。増田がここまでトラバ主体のコミュニケーションを作りだせたのも、ホントに不思議。自然発生的にこうなったのか??それとも中の人が率先して「こうやってトラバしてくんだよ愚民どもが!」って気を吐きながら示していたのか・・・。
千原ジュニア「題と解」をやりはじめたとき、最初は勘違いしたような回答するやつが多かったけど、徹底して「そういうのはちゃうねん!」と言い続けた結果、自分が求めるようなガチンコな回答が多くなった、と言っていた。でも自分が求める文化を意図的に作り出すって、かなり難しいことだと思うなぁ。
意図しなかった感じで面白いことになって、これはこれでいっかぁってことも多々あるだろうとは思うけどね。